【ケイコ氏】父アルベルト・フジモリ大統領の人権侵害・汚職の影響は?ペルー大統領選でクチンスキーに勝つ?

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2016年6月5日午後10時(日本時間)に南米のペルーにおいて次期大統領選挙の決選投票が始まりました。

対決するのは4月に行われた選挙で得票率第1位のフジモリ元大統領の長女・ケイコ・フジモリ氏と得票率第2位のペドロ・パブロ・クチンスキー元首相。

結果は6月6日午後(日本時間)に判明する予定です。

この選挙は2016年4月に行われた選挙においてケイコ・フジモリ氏が第1位の得票率を獲得しましたが、当選に必要な過半数までには至らなかったために、決選投票をすることになったものです。

決選投票では3位以下の候補者に投票されていた票がどちらに流れるか注目されています。

前日の世論調査によると大接戦の様相を呈していてどちらが選ばれるかは蓋を開けてみなければわからない状況ですが、クチンスキ元首相が若干有利という情報が流れており、理由についてはケイコ・フジモリ氏の父親である元ペルー大統領のアルベルト・フジモリ氏に対する汚職のイメージが根強く残っているためと言われています。

アルベルト・フジモリ氏の汚職はペルー大統領選にどのような影響を及ぼすのでしょうか?

気になるところを調べてみました。

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ケイコ・フジモリ氏とは?

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氏名:ケイコ・ソフィア・フジモリ・ヒグチ(Keiko Sofía Fujimori Higuch)

日本名:藤森 恵子(ふじもり けいこ)

生年月日:1975年5月25日生まれ

出身:リマ(ペルー共和国)

国籍:ペルー

学歴:ニューヨーク州立大学ストーニブルック校卒業

   ボストン大学卒業

   コロンビア大学ビジネススクール修了(MBA取得)

経歴:フエルサ2011党首

ペルー共和国第91代大統領である父アルベルト・フジモリ氏と政党 独立浄化戦線に所属する政治家である母スサーナ・ヒグチ氏の長女(第1子)として出生。

父母の離婚により19歳でペルーのファーストレディに指名(1994年8月から2000年までの間)

2004年コロンビア大学同級生だったIBMコンサルタントのマーク・ビラネラ氏と結婚。その後キアラとカオリの2人の娘を出産。

2005年以降ペルーに帰国し本格的に政治活動を開始。

2006年ペルーの総選挙に初当選し国会議員に就任。

2009年に政党フエルサ2011を立ち上げ党首に就任。

2011年にペルー大統領選に立候補するが対立候補のウマラ氏に敗北。

2016年 任期満了を迎えるペルー大統領選に出馬、6月の決選投票に挑む

 

父であるペルー共和国第91代大統領である父アルベルト・フジモリ氏の影響を強く受け、小さなころから政治家としてのビジョンを持ち同じ道を歩んできたケイコさんですが、父アルベルト・フジモリ氏が2009年に汚職と人権侵害の罪により失脚。

しかし、それまでに父が遺したペルー経済の立て直しと貧困層への資産分配の功績により、貧困層からの絶大な支持を獲得。

父の跡を継いで国会議員として政治活動を活発化してペルー大統領選に出馬。高い得票率を得ることとなりました。

父アルベルト・フジモリ氏の功績と罪は?

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氏名:アルベルト・ケンヤ・フジモリ・フジモリ(Alberto Kenya Fujimori Fujimori)

現日本名:片岡 謙也(かたおか けんや)旧姓・藤森

生年月日:1938年7月28日

出身:リマ(ペルー共和国)

国籍:ペルー・日本

学歴:ペルー ラ・モリーナ国立農科大学大学院卒業(農業工学専攻)

   フランス ストラスブール大学卒業

   アメリカ ウィスコンシン大学ミルウォーキー校大学院卒業(一般数学・物理学の修士号取得)

経歴:ラ・モリーナ国立農科大学 総長

   ペルー国有テレビの討論番組「オンセルタンド」司会(1年半)

   第91代ペルー大統領(在職:1990年7月28日 – 2000年11月17日)

1990年に新党革90を結党。「仕事、科学技術、勤勉」というスローガンを掲げてペルー大統領選に立候補し当選。

【功績】

・「フジショック」と呼ばれる、ペルーのマクロ経済は安定させる大規模な経済改革を実行し前政権で落ち込んでいた貿易額などを劇的に改善し貧困層に対する富の再配分を実施。

・前ガルシア政権に端を発するペルーのカオス的混乱を収束させるため自己クーデターを強行。併せてゲリラによるテロリズムに対処するために特別非常事態法を制定「クーデターによる国会解散がなければ、その後の更なる改革は不可能であっただろう」と評論家たちによる高い評価を得た。

・1995年4月の大統領選挙で圧勝

・1996年12月17日に日本大使公邸人質事件が発生。1997年4月22日にペルー軍コマンド部隊を公邸に突入させ事件を解決。

【亡命から汚職・人権侵害による立件】

・1996年~2000年ペルー原住民の極貧を緩和させるために出生率低下を目的として30万人以上の女性に強制不妊手術を推進。

・2000年9月に側近による収賄問題が発生。フジモリ大統領も疑惑を受ける。

・2000年11月APEC首脳会議に出席のためペルーを出国したついでに日本に入国。そのまま大統領を辞任し亡命。

・2001年9月ペルーの日本大使公邸人質事件において投降したゲリラを射殺した容疑による殺人罪で起訴され国際手配。

・2007年9月軍による民間人殺害への関与など2件の人権侵害と汚職5件の計7件についてペルー国内において立件。

・2008年4月令状なしでモンテシノス元国家情報部顧問関係先への家宅捜索を命じた容疑で有罪判決(禁固6年と2年間の公民権剥奪40万ソル(約1500万円)の罰金)

・2009年4月1990年代にペルーで起きた軍特殊部隊(コリーナ部隊)による民間人殺害事件の「ラ・カントゥタ事件」「バリオス・アルトス事件」について有罪(禁固25年)

ケイコ氏の大統領選への影響は?

アルベルト・フジモリ氏はペルーの落ち込んでいた経済を劇的に立て直したことと、ゲリラによるテロリズムの撲滅により治安を向上させたことで国民から称賛され支持を得ることに成功しましたが、半面、独裁的な政策をとることが多かったため野党や反政府団体から目をつけられることが多くなりました。

その結果、日本大使公邸人質事件や側近の収賄などにより政治家としての外堀を埋められ、最終的には亡命する形となりました。

 

国民全体の幸福を考えるのがリーダーの務めですが、ペルーのような国家として未発達な国を変革するためには敵を作る覚悟で行動しないと結果が得られなかったのだと思います。

貧困層を救えば富裕層や既得権益者から疎まれるのは必定です。

ただ、晩年は自身も既得権益に目がくらんでしまった事も事実だと言えます。

 

アルベルト・フジモリ氏が退いて16年の月日が経過していますが、過去の功績を忘れていない国民はケイコ氏を高く支持しています。

また、現在のペルーにおいては治安の悪化が問題視されているため、ケイコ氏が大統領になれば、父親と同じように治安回復の施策を打ってくれると期待する国民も多いようです。

過去の実績をよく見極めて冷静な視点で国の将来を決定してもらいたいと思います。

私個人の意見としては、クシンスキー氏のネガティブPRにより票が揺れているようですがケイコ氏が当選するような気がします。

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