加藤紘一死去の理由は病気?加藤の乱の末首相にはなれず!

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2016年9月9日に元衆議院議員の加藤紘一氏(年齢77歳)の訃報が報じられました。

加藤氏は山形県出身で山形2区から立候補して初当選。

これまで自民党に加藤派の派閥(宏池会)を抱え、宮沢内閣の官房長官や自民党幹事長、政調会長などの要職を歴任してきた大物議員です。

逝去された原因などについて気になるところを調べてみました。

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加藤紘一氏の病名は?

加藤紘一氏の死亡原因については病気という情報が有力のようです。

病名については肺炎と報じられています。

肺炎は感染症などによって発症したものかどうかは不明です。

平成24年の衆議院議院選挙で落選後、娘さんである3女の鮎子氏を後継者に指名して政界から身を引きました。

その後、体調不良から都内の病院に入院し療養していたそうです。

これまで張り詰めていた緊張の糸が切れたことと、娘さんに後を託したことで肩の荷が下りたのでしょうか。

70歳も超えて長年にわたる疲労が出てきたのかも知れません。

加藤の乱とは?

加藤紘一氏と言えば「加藤の乱」と呼ばれる党内での背任行為が思い出される方が多いようです。

当選回数13回を数える大物議院として、将来的に自民党内では総理・総裁の有力候補と呼ばれていました。

加藤派を立ち上げたのは平成10年。

宮沢元総理大臣の派閥をそのまま引き継ぎ会長に就任。

自民党内での地位を盤石のものとしました。

平成11年には自民党総裁選に故小渕首相との対立候補として立候補しましたが落選。

やや勢力争いで遅れをとったと感じられる展開となりました。

その後、平成12年に野党が提出した内閣支持率が低迷する森首相への不信任決議案に対し、加藤氏は山崎拓氏と共に当初は賛成か欠席すると表明していました。

不信任賛成という背景には、加藤派が自民党からの独立し政界再編を企てているなどのさまざまな憶測が囁かれました。

しかし、この時の自民党幹事長だった野中広務氏の党内引き締めにより、採決直前にやむなく方針を変更。

これが「加藤の乱」と呼ばれるものです。

この後、自民党内や派閥内の議員から信頼を失い、加藤派は分裂することになりました。

まとめ

今回は元衆議院議員の加藤紘一氏の死亡原因などについて調べてみました。

加藤氏は小泉元総理大臣や山崎元自民党副総裁との3人で「YKK」などと呼ばれ人気と実力を兼ね備えた議院でした。

ついに「加藤政権」の夢は叶いませんでしたが、これまでに残した功績はとても大きいものだと言えます。

故人のご冥福をお祈り致します。

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